1907
1907年2月
大阪市西区境川に横河民輔が横河橋梁製作所を創業
大阪工場を開設(1943年7月閉鎖)
大阪工場を開設(1943年7月閉鎖)
1910
1911年10月
鉄道院から橋桁製作工場に指定
1914年3月
東京都深川区千田町に東京工場開設
(1923年9月関東大震災による全焼のため閉鎖)
(1923年9月関東大震災による全焼のため閉鎖)
1918年5月
株式会社に組織を変更
本社を東京市日本橋区楓河岸7号地に移転
本社を東京市日本橋区楓河岸7号地に移転
言問橋八ツ山橋
東京都
言問橋
「名に負はばいざ言問はむ都鳥、わが思ふ人はありやなしやと」と昔、在原業平が隅田川のほとりで都鳥に呼びかけたという故事に因んだ名を持つこの橋は、復興局の架設したいわゆる隅田川六大橋(相生、永代、蔵前、駒形、言問)のもっとも上流に位置する。主橋はゲルバープレートガーダー(46.4m+67.2m+462m)、河岸橋は3径間連続プレートガーダー(12.95m+13.72m+6.55)幅員は22メートルの当時わが国最大の橋であった。
東京都
八ツ山橋
港区と品川区のさかいに架かる東海道線をまたぐ跨線橋で、当社としては京都の山家橋に次ぐ本格的鋼橋の架設である。支間138フィート(約42m)、幅員63フィート(約19m)、重量350トンのわが国最初のブレースドタイドアーチ形式である。鉄道線路上に架かる橋であるため、橋脚は使用できず、列車を止めることも許されず、しかも鉄道線路に対して55度の斜角橋で、当時としては最大最高の技術を必要としたものであった。
1920
1922年1月
新東京工場(1945年11月芝浦工場と改称)を芝浦に開設(1969年2月閉鎖)
本社を東京工場構内(東京市芝区月見町1丁目)に移転
本社を東京工場構内(東京市芝区月見町1丁目)に移転
1940
1940年8月
東京都深川区加崎町に深川工場開設(1978年3月閉鎖)
第一生命本社ビル
東京都
第一生命本社ビル
終戦後まもなく日本に進駐したマッカーサー元帥は、この第一生命本社ビルにGHQ(連合国最高司令部本部)を定めた。このビルは地上7階地下4階という豪壮なものであったが、工事にあたっては、地盤が軟らかくお堀に近く地下水の侵入も著しいため潜函工法を採用したり、また、皇居に近いため騒音にも気をつかい、リベット工法は禁止され、ボルト締めにして溶接で補強するといった新しい試みも採用された。
1945年12月
本社を東京都麹町区丸ノ内1丁目に移転