1950
1957年11月
本社を東京都港区西芝浦2丁目に移転
西海橋
長崎県
西海橋
九州西北部の大村湾の伊ノ浦の瀬戸に架けられた長崎佐世保線の道路橋で、支間216メートル、幅員7.5メートル、鋼重1927トン、固定アーチ橋としては当時世界第3位のもので、日本では初めての長大橋であった。戦後10年目に完成したこの橋は、戦前ついに超えることができなかった支間200メートルの壁を越えたもので、この時期を持ってわが国長大橋時代の幕開けということができる。
1960
1961年10月
東京証券取引所第一部に上場
1963年4月
現場工事部門を分離独立し、東京都中央区に横河工事株式会社を設立
1964年10月
大阪支店開設、大阪工場操業開始
1969年2月
東京支店開設、千葉工場操業開始(1999年3月閉鎖)
皇居正門鉄橋 (二重橋)目黒架道橋天門橋 (天草1号橋)広島大橋関門橋港大橋オメガ送信局空中用鉄塔水郷大橋大三島橋門前川橋梁東海道本線富士川橋梁新国技館青雲橋(新日之影橋)大鳴門橋
東京都
皇居正門鉄橋 (二重橋)
皇居前広場から見て奥にある鉄製の正門鉄橋で、当時としては最新の耐候性高張力材を使用し、鋼材の表面処理に亜鉛メッキに替わる亜鉛メタリコンを、現場継手にはリベットに替わって高力ボルトを採用。当時の日本では使用実績の少ない進歩的なもので、下部を含め橋体すべてに当時横河橋梁製作所の田中豊博士の意見が反映された。桁に亜鉛メタリコン処理を行ったことから、高力ボルトにも亜鉛メタリコン処理を実施。当時としては極めて先駆的なものであった。
東京都
目黒架道橋
本橋は、日本ではじめてプレキャストコンクリートブロックを片持ち架設したPC連続箱桁橋である。中央径間に支保工を用いず、あらかじめヤードで製作したプレキャストブロックを片持ち式に架設し目地を接着剤によって接合した後、プレストレスを与えて橋桁を構成した。工事は基礎、橋脚および上部工一式を含むもので、橋長176.8m幅員16.5m、コンクリート上部工1,600㎡、橋脚1,121㎡、基礎杭1,433㎡という大規模なものであった。
熊本県
天門橋 (天草1号橋)
本橋は橋長502m、主径間300mの下路式3径間トラス橋で、この形式としては当時世界最大級の橋梁であった。側径間各100mの部分は中央径間の垂直材、横桁などを流用したベントを最小限に設置し、ベント工法と片持ち式工法を併用して架設。中央径間300mの部分はそれぞれの側径間から150mずつ張り出して中央部で閉合した。1パネル組み立てるごとにトラスの形状をチェックしながら組み立てるなど、詳細な計画と綿密な施工によって完成した橋梁である。
広島県
広島大橋
本橋は広島湾奥部の海上に架けられた鋼床版箱桁橋で、橋長1,020m、幅員8.5㎡ (上部工は上下線分離)の4径間連続箱桁1連3径間連続箱桁2連および単純箱桁1連の計11径間から成っている。架橋地点は支保工などの設置が難しいことから、桁の架設は1スパンを1架設単位とする桁ブロック(135m、590t)を台船で現地に海上輸送し、フローティングクレーンでそのまま橋脚上に一括架設する工法を採用した。この架設は、日本最初の海上大ブロック工法であった。
山口県・福岡県
関門橋
本橋は、本州と九州をつなぐ高速自動車国道関門自動車道の一部として関門海峡上に建設された橋長 1,068m、中央支間長712m、幅員23mの3径間2ヒンジ補剛トラス吊橋である。わが国を代表する大規模橋梁(建設当時は東洋一の長大吊橋)であり、設計面では長大吊橋の現場施工の安全性を十分に考慮し、耐震耐風などの設計手法を確立して適用した。ケーブル架設は世界でも新しいプレハブストランド工法を採用し、補剛トラスの架設は日本初の逐次剛結工法を採用した。
大阪府
港大橋
港大橋は橋長980m、主構間隔22.5m、ダブルデッキ形式による車道4車線(上下合計8車線)の3径間ゲルバートラス橋である。中央支間長510mは、トラス橋としては世界3位の規模を誇っている。建設にあたっては、鋼材に厚板の高張力鋼HT80、HT70を使用するなど、材料、設計、製作、架設の各分野にわたって当時の最新技術が駆使された。とくに中央径間の長さ186m鋼重4,500tのウインチを用いた一括吊上架設は、今日の大ブロック架設のさきがけとなった。
長崎県
オメガ送信局空中用鉄塔
オメガ航法のための送信局のひとつとして、長崎県対馬市上対馬町に建設された高さ455mの鉄塔で当時「東洋一の大鉄塔」と呼ばれた。建設にあたっては荷揚げ用の1,000tm三脚デリック、455mの高さまで鋼管を吊り上げるための20t吊セルフクライミングエレクター、スパン1,000mのケーブルクレーン用エンドレス式の巻き取りウインチを新規に開発した。本鉄塔は約25年間使用され、1998年に解体されることになるが、供用期間中の点検および解体も当社が手がけた。
千葉県・茨城県
水郷大橋
利根川をはさんで千葉・茨城をつなぐ形で架設された本橋は、2径間連続斜張橋としてわが国最大規模のものだった。またケーブルは上段に19×PWS169を使用したが、その外径は315mmで斜張橋のケーブルとしては国内最大級だった。架設では斜張橋のタワーやケーブルを活かし、しかも仮設備の少ないベント併用の片持ち式工法を採用。利根川の閘門通過を許される最大限のブロックを水上輸送し、架設地点付近に浮かべた大型台船上で大ブロックに組み立てて架設した。
愛媛県
大三島橋
本州四国連絡橋の第1号橋として架設された大三島橋は、大三島と伯方島を結ぶ、支間295mの単径間ソリッドリブ2ヒンジアーチ橋である。架設は45t吊、15t吊のケーブルクレーンを使用し、アーチリブを多点で斜吊して片持ち式に組み立てる工法を採用した。その後、アーチ橋台に側タイを定着させアーチの剛性を高め、側タイ部の床組・鋼格子床版を架設し中央タイとその床組および鋼格子床版を1パネルずつ中央に向かって架設閉合した。
山口県
門前川橋梁
本工事は、山陰本線岩国から南岩国間の門前川に架かる老朽化した支間19.2mの飯桁9連を3径間のトラス橋に架け替えたものである。レール面から桁最下端までの寸法を小さくするために縦桁を廃し、格点間にも横桁を配した特殊複線道床式トラスで、主構間隔は9m、支間612mが3連、橋長188m、鋼重1,926tである。
静岡県
東海道本線富士川橋梁
1982年8月2日未明、台風10号による富士川の観測史上最大の出水により東海道本線富士川橋梁下り線、第4号橋脚が倒壊しトラス橋2連が落下流失した。大動脈を早急に複線開通するため、倒壊した橋脚と同じ位置に橋脚を復旧することになった。上部工は両側の既設トラス橋に仮設連結構を設置し、トラベラクレーンによる片持ち式工法で両側から同時に施工した。施工中に台風に見舞われるという困難もあったが流失から75日間で橋梁は復旧し複線開通する運びとなった。
東京都
新国技館
新国技館の大屋根の構造は、8本の大梁からなるメイン部材と屋根荷重を受けるトラスで構成されており、鋼1,725高力ボルト5万本というものであった。施工方法は、ウインチによるリフトアップ工法とトラッククレーン工法の組み合わせによるものだ。当社の機材を駆使し、(株)横河橋梁製作所千葉工場で吊上確認実験を行った後に施工にあたることで、この画期的な特殊構造物を高精度で組み上げることに成功。1985年1月には落成式が行われ、新国技館は華々しくオープンした。
宮崎県
青雲橋(新日之影橋)
青雲橋は宮崎県日之影町に位置し、国道218号線(高千穂〜延岡)五ヶ瀬川に架かるスパンドレルブレースドアーチ橋で橋長410m、幅員12.5m、水面からの高さは140mある。ケーブルクレーン(スパン360m)による片持ち式工法夕イバック工法)で架設を行った。強風のため冬期12月から翌3月までは極端に稼働率が落ちた。また、宮崎県北部は日本でも指折りの多雨地域で常に墜落災害の危険がつきまとったが、2年5ヵ月を要した工事は無事故で完了した。
徳島県
大鳴門橋
本橋は、渦潮で有名な鳴門海峡を跨ぐ、中央支間876m、橋長1,629mの3径間2ヒンジ補剛トラス吊橋で、トラス上面は道路用、下面は鉄道用の二重床となっている。ケーブルの架設では自然条件を考慮し、パイロットロープの渡海作業にタグボートによる直接引出しのフリーハンギング工法を採用。本体ケーブルにはプレハブストランド(PWS)を用いた補剛トラスの架設では、本工事に合わせて設計・製作した90吊トラベラクレーンによって面材架設をった。
1980
1988年10月
横河工事株式会社と共同出資で株式会社横河メンテック設立
岩黒島橋与島橋下津井瀬戸大橋南備讃瀬戸大橋
香川県
岩黒島橋
本橋は岩黒島と羽佐島を結ぶ、中央径間420m、橋長790m、主塔の高さ海面上157mの3径間連続斜張橋であり、当社は岩黒島側の架設を担当した。塔下部と中間ベントをクレーン船で建て込み、その上に地組した塔寄り10パネル分の側径間トラス大ブロックを2隻の3,000t吊級フローティングクレーンで相吊架設。塔上部と残った側径間トラスをトラベラクレーンで架設後、中央径間トラスをトラベラクレーンで片持ち式に架設しつつ斜吊索を張り、中央径間の中央で閉合した。
香川県
与島橋
本橋は、本州四国連絡橋児島〜坂出ルートのほぼ中央に位置する、中央支間245m、橋長588.3mの世界でも有数の3径間連続トラス橋である。また、本州側の吊橋斜張橋群と、四国側の南北備讃瀬戸大橋とが交わる交角を本橋で処理するため、トラス構造が複雑となっている。架設は、中間支点部分は斜ベントを設けて3,000t吊級フローティングクレーンで一括架設し、その後はトラベラクレーンにより側径間と主径間との釣り合いを保ちながら単材を片持ち架設した。
岡山県
下津井瀬戸大橋
本州四国連絡橋の児島〜坂出ルートのうちでもっとも本州寄りの海峡部を跨ぐ、橋長1,447mの単径間道路鉄道併用吊橋である。ケーブル架設には、定着作業上の制限から定着スペースを小さくできるエアスピニング(AS)工法を採用し、用地の制約からワイヤロープの引出しはすべて櫃石島側より行った。AS工法では、素線をループにして対岸に運ぶスピニングホイールを従来の倍の4滑車にして架線能率を飛躍的に向上させた。
香川県
南備讃瀬戸大橋
本橋は、本州四国連絡橋児島〜坂出ルート海峡部のもっとも四国寄りに位置する、中央径間1,100m、橋長1,648mの3径間連続道路鉄道併用吊橋で、北側のアンカレージは北備讃瀬戸大橋との共用という世界的にも珍しい構造である。当社はケーブルと補剛桁の架設を担当したが、ケーブルにはPWSを用い、補剛トラスの架設は塔付部4パネルを3,000t吊級フローティングクレーンによる大ブロック工法で、その他はトラベラクレーンによる無ヒンジ逐次剛結法で面材架設を行った。
1990
1991年10月
社名を株式会社横河橋梁製作所から株式会社横河ブリッジに変更
幕張メッセ展示ホール横浜ベイブリッジ東京都庁第二本庁舎若戸大橋蝉丸橋出雲もくもくドーム阪神競馬場ららぽーとスキードームSSAWS新梅田シティ空中庭園福岡ドーム
千葉県
幕張メッセ展示ホール
幕張メッセ展示ホールは幅108m長さ516mの大空間を有する大型展示場であり当社はその屋根鉄骨工事を担当した。大空間構造で柱間スパンが60mと大きいため、基本的には大ブロック地組・一括架設を採用。主たる骨組みとなるキールトラスを地組で大ブロックにし、300t吊クローラクレーン2台で相吊架設した。本工事は工程が極めて短かったため、日々過密スケジュールのなかで架設を行った。
神奈川県
横浜ベイブリッジ
本橋は、横浜航路を本牧埠頭から大黒埠頭にかけて横断する地点に架設された中央支間460mの斜張橋である。側径間は架設作業に伴う航路制限を極力避けるため、小型船舶の障害にならない位置にペントを立て、側径間を2ブロックに分けて大型クレーン船で架設した。中央径間は耐震解析や風洞実験などで安全性を十分に確認したうえで、斜張橋の力学特性を利用してケーブルを張りながら主桁を徐々に伸ばす片持ち式架設工法を採用した。
東京都
東京都庁第二本庁舎
東京都庁第二本庁舎建設工事は、当社が本格的な超高層ビル工事に参画した初の案件である。施工にあたっては大梁ユニット工法を採用し、タワークレーンJCC900Hを2台、JCC400Hを2台使用して鉄骨建方を行った。建方計画や労務管理工程管理、品質管理など多くの課題があったが、それらをすべてクリアし無事工事を完了させたことが、当社のその後の高層ビル工事の進出へとつながっていくのである。
福岡県
若戸大橋
若戸大橋は1962年に当時「東洋一の夢の吊橋」と謳われた名橋である。本工事は建設時のコンクリート床版2車線を鋼床版4車線へと、一度も通行止めを行わず拡幅する工事である。現場では、1施工中は常時2車線を確保すること、2グースアスファルトの舗装熱を考慮した鋼床版の据付方法、3施工中の形状管理、4一般交通への安全を考慮した施工設備の計画など数々の課題があったが、それらをすべてクリアし工事は無事完了した。
京都府
蝉丸橋
蝉丸橋は上路式鋼2ヒンジアーチ橋であり、コンクリート床版の損傷が激しくなったため、準備工を含め3年間で上下線の改良工事を行うことになった。補強工事は13日間の20時から翌6時までと極めて短期間で行われた。とくに初日は伸縮装置の撤去、床版の撤去、垂直材の撤去、支承の撤去、つづいて新支承の削孔、支承の据え付け、垂直材・斜材の架設、鋼床版の架設、舗装、ライン引き、仮伸縮装置の架設となり、いったん床版を撤去すると後戻りできないため緊張を強いられた。工事は無事完了し、補強工事の効果は現在も持続している。
島根県
出雲もくもくドーム
本ドームは蛇の目傘のような骨組構造で、主フレームが木材(集成材)という特徴をもつ。主フレームを地上に近いところで組み立て、真ん中を押し上げながら周りを中央に向かって滑らせることで傘のような構造のドームにした。傘の形状が膨らまないように、内側でリング状にタイロッドを張って脚部を固定した後、中央の支持ベントをジャッキダウンして開放し、ドームを構築した。
兵庫県
阪神競馬場
本工事は、阪神競馬場プラザ棟の改築に伴い、隣接パドック部を大屋根で覆う構造物の建方工事である。構造の特徴は、パイプトラス構造を主構造とした主トラス、サブトラス、トラス繋ぎ梁で構成された大屋根構造で、採光設備としてトップライト設備があり、鳥瞰による全景が「鳥が羽を広げたような様」が特徴である。架設方法は、ベント支持による大型クレーン架設を採用。本工事では超突貫施工を客先より要求されたため、パドック中央部に750吊クローラクレーンを1台、外周部に650吊クローラクレーンを2台配置し、約3,000tを3ヵ月で完成させた。
千葉県
ららぽーとスキードームSSAWS
屋根鉄骨は地上100m近い高さまであり、地上からのクレーン、ベントとなると大型になるため、ゲレンデ鉄骨の斜面上をクレーン+構台、ペント+構台、足場+構台を斜めにスライドさせて移動設備とし、設備の削減をした。全体の面積が広いため、基本的に各設備を移動・転用可能なものにした。10年後の2004年にSSAWSは役目を終え解体することになったが、その解体工事も当社が施工した。
大阪府
新梅田シティ空中庭園
新梅田シティは東西40階建の高層ビルを最上部の空中庭園でつなぐ、当時としては非常に斬新な構造をしており、当社はその空中庭園のリフトアップ工事に携わった。工事は吊上重量1,040揚程147mにおよぶ大規模なものであった。当時は高速度でリフトアップする油圧ジャッキが国内になく港大橋などの施工で活躍したエンドレスウインチを使用した。空中庭園の吊上は1992年5月18日の午前6時にはじまり、約13時間後の同日19時ごろ、定着部へ到達した。
福岡ドーム
福岡ドームは、日本初の大規模開閉式屋根構造をもつスタジアムである。屋根鉄骨は大型ブロック化し、隣接するヤードで面組みを行い、アリーナ内ではブロック組みを行い、組立精度の確保と架設の作業性・安全性を向上させた。屋根全体は、18箇所のべント設備を設置し、最下段の固定屋根の外周部3分の1を組み、中段、上段の3枚を重ねた外周工区を組み立てた。つぎに中央工区の3枚重ねを組み立て、最後に中央部(球芯工区)を組み立て、架設を完了した。
1995年
阪神淡路大震災の復興にあたる
1997年5月
ISO9001認証登録
MM21ランドマークタワーレインボーブリッジ (東京港連絡橋)桧尾川橋豊田大橋干支大橋 (早日渡橋)清見寺橋
神奈川県
MM21ランドマークタワー
工程短縮を目的とし、鉄骨部材の大型化、ユニット化、ブロック化に対応すべく、日本で最大となるタワークレーンJCC1500Hを4台使用して建方を行った。大型ブロック化については、柱、梁を一体化(最大65t)して建方を行い、大梁ユニットについては床下設備配管をセットし、揚重回数の低減を図った。極厚柱(80〜90mm)には、SM570Qが採用され、厳格な管理が求められた。
東京都
レインボーブリッジ (東京港連絡橋)
本橋は東京都港区の芝浦と台場を結ぶ橋長798mの吊橋で、一般にレインボーブリッジと呼ばれる。施工にあたっては、パイロットロープを芝浦側から曳舟によって渡海させ、キャットウォーク床組を両主塔から順次送り出して架設した。ストランドの架設は、ホーリングロープに取り付けられたストランドキャリアによって、芝浦側から順次ストランドをキャットウォーク上の引出しローラに乗せて、台場側のアンカレージまで送り出し、アンカーフレーム所定位置で定着させた。
大阪府
桧尾川橋
名神高速道路はわが国最初の高速道路であり、1973年に栗東〜尼崎間が開通した。以来、陸上交通の大動脈として経済発展に寄与してきたが、交通量の増加と車輌の大型化の影響で橋梁などの老朽化が進んでいた。京都南IC〜茨木IC間に位置する桧尾川橋においても同様であったため、損傷しているRC床版の全面取替工事と、車輌の大型化に対応するための抜本的な主桁補強工事を同時に行った。
愛知県
豊田大橋
本橋は、豊田市制50周年記念事業の一環として整備されたもので、豊田スタジアムとならんで建築家の黒川紀章のデザインによる。肋骨をイメージしたアーチリブは特異な形状をなし、その断面形状は基部からアーチクラウンに向かって四角形から六角形に変し、基部は外アーチと内アーチのダブル構造となっている。また、吊材はアーチリブからそれぞれ放射状に配置され、アーチリプには化粧板が取り付くとともに、左右アーチがパスケットハンドル状にこの化粧板に結されている。
宮崎県
干支大橋 (早日渡橋)
国道218号は、熊本を起点とし宮崎県高千穂町を経て延岡市へ至る山岳道路である。早日渡橋は宮崎県北方町に位置する中路式鋼ブレースドリブ固定アーチ橋で、最大の特徴は完成系では固定アーチ橋だが、架設系は2ヒンジアーチ橋として架設したことである。この路線で当社は雲海橋や青雲橋、槇蜂橋といずれも国内最大級のアーチ橋を架設してきた。アーチスパン275mの本橋も1995年3月に無事閉合し、インディアンレッドのアーチ橋が五ヶ瀬川の川面に美しく映った。
静岡県
清見寺橋
東名高速道路清見寺橋は、1968年に静岡県清水市に建設された東海道新幹線を跨ぐ3径間連続ゲルバー橋である。本橋は1977年に縦桁の増強や鋼板接着による補強工事が行われたが、その後さらに大規模地震への対応と車輌の大型化対応が行われることになった。補強工事はゲルバー桁ヒンジ部をなくした連続桁への改造で、ゲルバー桁ヒンジ部の連続化は現断面の単なる添接ではなく、床版も含めて添接部の主桁をも取り替える本格的な構造変更を行った。
1999年
多々羅大橋、来島海峡第三大橋の開通
本四連絡全3ルートの完成
本四連絡全3ルートの完成
小形山架道橋白鳥大橋大阪ドームカップスイモン橋 (汲水門橋)明石海峡大橋西武ドーム
山梨県
小形山架道橋
小形山梨道橋は、リニア実験線の中で最長の支間をもつニールセン・ローゼ形式の橋梁である。その架設方法は、高速道路上に架設されることから架設時の安全性の確保と道路交通を妨げる期間を短縮するため、旋回架設工法を採用した。ニールセン形式は鉄道橋梁としてははじめてのものであり、また1,500tを超える旋回架設重量はこれまでに行われた旋回架設工法では最大規模であった。
北海道
白鳥大橋
本橋は白鳥新道の主橋梁として室蘭港の河口部に位置する、中央径間720m、橋長1,380mの側塔を有する3径間2ヒンジ補剛吊橋である。当社は主塔と補剛桁工事を行った。補剛桁の架設では、海上に定点保持した輸送台船より補剛桁ブロック(約220t)リフティングビームで所定の高さまで吊り上げ、ケーブルから吊り下げられたハンガーロープに定着。これを繰り返すことによって桁ブロックを連結し、径間ごとに閉合を行い、補剛桁の架設を完了した。
大阪府
大阪ドーム
大阪ドームの屋根建方では、直径166.5mのドーム屋根の中央の直径134m部分を地上で組み立て、外周部の32.5m部分を所定の高さでベント支持して組み立てた。その後、18基の油圧ストランドジャッキを使用して中央部をリフトアップして(5,500t*49m)屋根構造体を構築した。
香港
カップスイモン橋 (汲水門橋)
本橋は、香港の新空港が建設されたランタウ島と九龍側のマワン島を結ぶ2層式の複合斜張橋である。中央径間が鋼とコンクリートとの合成箱桁構造、主塔もコンクリート構造となっているのが特徴である。RC構造の主塔はジャンプ・フォーム工法、側径間のPC箱桁は押出し工法によって架設した。中央径間の架設については、現場内の工事海域に埋立て造成したヤードで鋼桁を地組立し、上下の床版を打設して箱桁構造としたセグメントを直下品によって架設した。
兵庫県
明石海峡大橋
神戸市垂水区と淡路島の北端を結ぶ全長3911m、中央支間1,991mの明石海峡大橋は世界最大の吊橋で、2つの主塔の高さは海面約300mに達する。ケーブルの架設では、直径523mmの高強度亜鉛メッキ鋼線(素線)127本を工場で六角形に束ね、これを1架設単位として架設していくプレハブパラレルワイヤストランド工法(PWS工法)を採用。補剛桁の架設では、主塔部と橋台部でフローティングクレーンによる大ブロック架設をした後、トラス部分をトラベラクレーンで面材架設した。
埼玉県
西武ドーム
本工事は、プロ野球のシーズンオフ2期で野球場のドーム化を図るというものである。1期目の下部屋根は円周効果を利用した構造となっており、ベントで支持して架設した。2期目の中央屋根は50点吊のリフトアップ工法で行った。短期間の工事のため昼夜2交替で休みなしの工程となったが、当社の高い技術力を証明する工事となった。